
前回の作品から5年。
なのに、読み終わるまで6時間。
ああもう、このもどかしさをどこで発散すればいいんだーッ!!。・゚・(ノД`)・゚・。
ボリュームが少なすぎたよ。今回は。
そりゃ、他の作家に比べると「何じゃこの厚さは!?」なページ数だけど、こと京極作品に関しては、例外というか。
5年の歳月は、750ページじゃ読み足りねぇよ、という気分が最後までつきまとった作品でした。
もちろん、出来はその辺の凡百の小説なんてメじゃないし、全然関係ないと思われるような蘊蓄が、後半の謎の根元にしっかりと絡んでくる演出も見事。
これだけの厚さを持ちながら、途中でページを繰る手を休めさせない力量は確かにあるけれど。
がしかし、ミステリになくてはならないサプライズが、圧倒的に足りない。
あの愚鈍で鳴らしている関口にですら真相を看破できるほど、今回はのっけから犯人が分かっちゃってるし。
それは、今作のシリーズテーマが、
「『宴の支度・始末』でブッ壊れた関口の再生」
だから仕方がないと言えばそれまでなのですが。
作品テーマや題材は、相も変わらず私好み。
儒教、死ということ、概念――そして、パラダイムシフト。
このパラダイムシフトが起こりうる人物、というのが犯人なわけだが、登場人物が出揃った時点で、そんなの一目瞭然じゃん、と言わんばかりの露骨な伏線。
稀代の書き巧者である作者がこんなに初歩的なミスをするはずはなく、たぶんこれはわざと、と言うよりも演出のうちなのだろうが、それならば、犯人当て以外の部分にもう一つどんでん返しがあったら良かったような。
例えば鉄鼠の檻の。
例えば絡新婦の理の。
あの、事件が解決を見せたのに言いようのない不安に襲われる感覚、その後訪れるさらなる解体と、それによってもたらされるカタルシスが今作ではいまいち薄かった。
今作では読者の視点と関口の視点を極めて近いものとして狙って書かれており、両者は物語が進むと共に途中で真相と、それに至る動機が見え隠れしていることに気付く。
(というより、気付かされる。気付かないヤツはいない。断言する)
だが、そのすべてを読者は上手く説明できない。
その「分かっているけど言葉にできない」もどかしさを、京極堂の憑きもの落としによって解消する、というスタンスが中途半端に終わってしまっている。
それは、憑かれたのが関口ではないから。
読者=関口なら、真相に自力で辿り着けた関口を落とす必要はなく、従って、京極堂から紡ぎ出される言葉によって目前の霧が晴れていく感覚がいまいち薄いのだ。
京極作品では、初読ではインパクトを、2度目以降は構成の妙を味わいたい私にとって、今作は面白くはあったけれども、読後感があっさりしすぎて残念な印象をぬぐえない。
すんげー腹減ってるのに、ファーストフードで小腹満たしたような感じ。←安っぽい表現
とりあえず、シリーズには珍しく明るいラストだったのが救いなのか。
これだったら、この先数年待たされてもやきもきしないで済むからね(⊃дT)